高砂丸の救助にあたったデンマーク人機関長クヌッセン
クヌッセン機関長救命艇保管庫
和歌山県日高郡日高町阿尾628
1957年、日ノ岬沖で火事に合った日本人船(高砂丸)を救おうとしたデンマーク船エレンマースク号と、その救出活動で殉難された機関長であったヨハネスクヌッセン機関長を悼んで、その遺徳を讃え、救命艇保管庫と供養碑が作られました。
保管庫は2013年2月14日に現在の場所にリニューアルされました。救命艇のほか、当時の漁具なども展示されており、外の大きな窓から見物することができます。
事故から50年以上が経った現在、あの悲しい事故から日本とデンマーク両国の友好の絆が育ち、2002年のサッカー日韓ワールドカップの際に、デンマークチームは和歌山をキャンプ地に選ぶなど、その友好関係は今も続いています。
1957年(昭和32年)2月10日午21時40分頃、名古屋から神戸へ向け航行中のデンマーク国マースクライン会社所属エレン・マースク号が、和歌山県日高郡美浜町日の岬灯台の北北西5マイルの海上で、徳島県海部郡海南町船磯庚一さん所有の機帆船「高砂丸」が火災を起こしているのを発見した。
エレン・マースク号は、ただちに接近して救命艇をおろし高砂丸の乗組員3人の中、ただ一人の生存者を救助したが、極度の疲労のため縄ばしごで本船に乗り移る際、力つきて船から転落しました。これを見たマースク号の機関長として初航海に従事していたヨハネス・クヌッセン氏(当時39歳)は身の危険をかえりみず暗夜の激流の中に飛び込んだ。たまたま同夜は風速20メートルの北西の季節風が吹き山のような大波が荒れ狂っていた。
クヌッセン氏は、翌11日早朝日高郡日高町田杭海岸で遺体で発見され、この救命艇も近くに漂着していました。クヌッセン氏の国境を超えた深い人類愛に燃え身命を賭して救助に立ち向かった勇猛果敢な行為を広く顕彰するためこの救命艇をここに保存しています。
Infomation(詳細情報)
名称 | クヌッセン機関長救命艇保管庫 |
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フリガナ | クヌッセンキカンチョウキュウメイテイホカンコ |
カテゴリー | 観光スポット・名所 / 博物館・美術館・記念館 |
住所 | 〒649-1232 和歌山県日高郡日高町阿尾628 |
駐車場 | あり(無料) |
ホームページ | http://www2.w-shokokai.or.jp/knudsen/top.html |
備考 | ※保管庫内には入れません。 |
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